写生俳句⑴写生俳句⑶

2018年09月05日

写生俳句⑵

(ブログ記事の主観と客観からの抜粋です) 「客観写生」などはありえません‥‥客観などより非情の目こそ大事‥‥写生とは「見えるものも見えないものも、ありありと描く」ということ‥‥現実も心の世界もということ この文(青文字は私が尊敬する長谷川櫂氏のもので歯切れの好さが何とも気持ちいい。思うことを私もズケズケ書くほうだが、もしかして長谷川櫂氏に染った虞は十分にある。😅

結論的には私も長谷川櫂と同じところへ向かう気がするが、違いを敢えて言えば私のほうは子規も虚子も理解するスタンスであって否定するものでない‥とは言え、私自身は子規にもならず、虚子にもならず‥他の誰かになる意味を知らない。(余談的な私の妄想だが)足袋つぐやノラともならず教師妻の名句を遺した久女だが、きょし妻を夢みたかも知れず、句作りはやっぱり久女のように自由な心が好い。

さて、❶~❻は写生句に違いないと云うことで私と此処をご覧の皆さんとは想いを共有できたようです。このようにして呆気ないほど易々と意思の疎通を図れるのに是れまでいがみ合ってきた俳壇はなんだったのだろうか?人間がゐなかった?人間がゐればtalkは確かに成立つ。それなのに今までは美味しい肉の奪いあいに寄ってきて主導権争いに明け暮れる醜い心の俳壇になっていたってこと?

そうとばかりは言えないと私は想うが、如何? こういった按排でもうすこし続けますね。権威が登場して得々と高尚なご意見を述べるのは学問の場には必要でも、俳壇がそれに染まってどうするんだ‥ってなもんですからね。あなたもそうお思いになるのではないだろうか?権威は科学の場で頑張ればいいのであって、句作り(文化)には人間の温かみが欠かせないのでないか?私はそう思う。

詩歌は芸術‥コレだよね。悩ましい芸術なんだよ。私たちは芸術の底辺を広げる必要性を理解すべきだ。底辺を広げる目的を思うとき、お稽古ごとは無用でない。すなわち、お稽古ごとには二面性がある。お稽古ごとが社会に悪影響を及ぼすときは悪しき面が表れて主導権争いに明け暮れる俳壇。それでもお稽古ごとの善い面が表れるなら生き生きしてる人が増えて住みやすい社会になっていく。

難しかった?句会はイッパイあるけど、人を踏みつける者を生み出している句会‥それは諸悪の根源と理解して間違いないってこと。他人の足を引っ張ったり、嘘・陰口・誹謗・中傷して他人の邪魔する者が増える集団に真っ当なのはない。そんな集団を見掛けたらどうすべきだ。警察が動く規模なら通報し、それほどでなく、しかし見逃すべきでなければ‥私は叩いて叩いて叩いて懲らしめる。

見ていない振りする奴は次第に増長していって必ずいつか社会に害を為すに違いない。オデキは小さいうちに潰すに限る。そういった感じですね。今回もお読みいただき有り難うございました。


abcd_tya at 10:51│Comments(0)‥the talk (恣) 

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