2018年09月

2018年09月08日

新ブログの立ち上げ

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新ブログ詩(short poems)へは、当ブログの園芸関係以外の全てのカテゴリーを引越し・独立させますのでそれ等の続きをこちらのブログで載せることはなくなります。お気がむかれましたら新ブログへも是非お立ち寄りください。よろしくお願いいたします。



abcd_tya at 12:39|PermalinkComments(0)雑記 

2018年09月06日

2018年9月度・有季

桜桃忌俺が大事と云ふげっぷ

これはネットから引張ってきたもの。桜桃は太宰治の作桜桃忌は作品の「桜桃」に由来している。太宰の作品は身を売って仕上げた物というフレーズを遺したが、太宰の気持ちは私にも分る気がする。恥しい想いをしながら稼いだ太宰。作品「桜桃」にも卑しい父親が書かれている。恥しい想いをしないで済むところを目指した太宰だったに違いない。(記.2018年9月6日)


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暴風の跡煌煌照らしたり破月  猫星's守  9月7日


2018年9月度・無季

日野原重明氏は104歳で俳句を詠んでおられた。そのことを私が知ったのは2~3日前だっけ?氏が俳句を始められたのは小学生との交流が切っ掛けだった。いやあ、それに刺激を受けた私で、それでこのカテゴリーも生れたのです。小学生(現・中学生)に刺激され、104歳に背中を押されてヨチヨチ歩きを始めます。合掌。

君たちの 使える時間 それがいのち  日野原重明


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重力に抗うふぐり閾(いき)や庸(よう)       猫星's守 9月7日

ほどのいいふかふか草のあたたかい         猫星's守 9月7日


守(かみ)も好いかとそんな気楽なハンドルネーム  猫星's守 9月6日

守(かみ)様と呼ばれた積もりも面映ゆい      猫星's守 9月6日






詠みたい想いで‥

自分で詠んだ詩や誰かの詩を記していきたいと思ってカテを作った。有季詩 (short poems)無季詩 (short poems)・ 現代詩 (poems) の三つ。ココでは俳句というジャンルを消した。有季定型俳句は有季詩 (short poems)となる。どうように自由律俳句は無季詩 (short poems)。現代詩 (poems) には数行程度の詩を予定している。自分で名作を詠もうなんて欲を出してたら結局何にも作れないから取りあえず見込み発進です。ついでに有名人(故人)の俳句(詩)も紹介していけたら好いなあ‥と思っている。

もしかして、あなたの句やポエムを載せることになるかも知れませんが、その節はご了解を求めますので、どうぞよろしくお願いいたします。(・.・;)

abcd_tya at 19:49|PermalinkComments(0)‥the talk (恣) 

写生俳句⑶

それでは比較しながら一つ一つ観ていきます。

❶古池や蛙飛こむ水のおと 芭蕉のこの句は写生俳句か?否か?‥って件。古池を写生し、蛙を写生し、飛びこむのを写生し、水の音を写生した。さすがは芭蕉の代表句‥分りやすくて、誰も写生でないなどと言えまい。この句と見比べながら他の句を見てったら違いが分りやすいかも知れないね。

❷閑さや岩にしみ入る蝉の声 その場所は静かだった。岩があって、蝉の声がしてて、その蝉の声は岩にしみ入ったって芭蕉は言ってる。そうすると岩にしみ入るってのは写生したの?否なの?少し気になるけど、私は芭蕉が写生したって理解する。なにせ芭蕉が基準なんだ。これに異論はあるのかな?

❸下京や雪つむ上の夜の雨 句の舞台は下京だ。雪が積むんだ。上からは夜の雨が降ってる。これも芭蕉のお墨つきだから写生俳句だ。なにか反対意見はある?私もあなたも同じ条件で評価してるんだから、反論があるなら自由に言えばいい。私の説明に納得できないところある?無いよね?(笑)

❹柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 いよいよ正岡子規の句の登場です。ここからが特に大事だと思う。なにせ写生俳句を言い出したのが正岡子規でしょう?正岡子規が言う写生の意味が分りづらい人は多いと思う。私にも判り難い。それで私なりに選んで出した「柿食えば」のこの句なのでし‥。😅

どやあ、俺のは「写生俳句」だぞって子規は言ってるし、この句を基準にして好さそうと思った私。柿を食う誰かがいる。それは他人でも自分でも構わない。そして自分の食べる姿を自分の眼では見られないけど写生って言ってる。観た景ばかりか心に想った景も写生に含めるのが子規の写生論だね。

ま、自分が食べてる姿を具体的に想像する人は滅多にいない。食べてる事実を述べただけで子規には写生だ。もっと言えば、じっさいに柿を食べてなくて、柿を食ったとしたら鐘が鳴るなり、(太鼓が鳴るなり、子規の病が癒えるなり)何らかの反応があって然るべきだ。なにせ法隆寺なんだもの‥ね。

句意をこう捉えるときは柿に囚われることはない。柿でなくて、薩摩芋でも好い理屈だが景にそぐわなければ詰らない句になる。それでアレコレと上五を考える。芭蕉が「下京に限る」といったようにね。中七下五の鐘が鳴るなり法隆寺にぴったりの素材を持ってきた‥つまり、付けたしだろ?

法隆寺の門徒・信徒なら漬物食べても有難い御加護があって然るべしだが、子規がどのレベルだったか私は知らない。法隆寺をお参りした子規へのお徴(しるし)が素敵なものでなければ罰当たりの子規お仕置きされたとも捉えられる。当人に還るのが信仰という点では全くその通りと私は言っておく。

(余談的に)秋刀魚(さんま)は目黒に限るというフレーズがあるが、限るという美意識の一点で目黒に限るし、下京でなければならず、でなければならなかった。時代性のゆえに当世は焼き林檎に限るかも、雷門に限るかも‥ともあれ俳句は時代を映す鏡と言えそうです。即ち・心に映った象を写生する。

❺落椿投げて暖炉の火の上に この句は心に映った象を写生してる。虚子の心に写ったイメージが句に投射された。女心に長(た)けた虚子のイメージは私の心に写ったものですけれど‥😅 会合の重責を担う女主人大役を果たすべき一句‥橋本多佳子を中心に回り出したパーティー。


❻去年今年貫く棒の如きもの 
繰返される時のなかには表に出ない存在がある。櫓山荘のパーティーで橋本多佳子は面目を施しつつ財界デビューを果たした。世界に彼女の存在は欠かせない。 派手な役割の人も居なくてはならない。普段からの虚子の心境はこんなところでなかったかな?


別の言いかたをしよう。卑劣で腐った心のあなただけど世界には必要なんだ。だからその腐った性根を直さなきゃあ‥頑張ろうね。分かるかなあ?今は通じないかもね。柿食えば性根が直るかも知れないだろ?だから諦めることはないんだ。そうそう、腐りきったあなたが必要な訳‥知りたいだろ?

傲慢な己をの存在に見せかけたい腐ったあなたも必要だ。優れた句を見せびらかせて得意がりたい人がいる。だけど優れた句を詠む人だけが大事とは限らない。句の意味が分らない人・句を誉める人・励ます人、いろんな才能がある。句作りはも1つの私、だけど他人の句を愉しむ詩人を自認してる。

人にはそれぞれに使命があると言ってもいい。優れた句を詠みながら人を仲違いさせて法隆寺に近づいただけで痛い目を見る人がいても、そうなったのには深い深い因縁があって、全ての人が幸せになって欲しい仏の心が働いたかも知れないじゃないか。それで結局のところ、虚子は何なんだ?

裏方を引受けるって言ってるのと違うかい?表舞台で目立ちたいあなたにも使命はあるが、虚子も必要な役目を担っているけど全然目立たなくて構わないって詠んだのだろうね。虚子は他所の句会の弟子を引き抜こうとしない、ホトトギスから皆が力をつけて出てってくれて本望だったと私には思われる。

芭蕉・子規・虚子にとって重要なことは、誰でも迎え入れるホトトギスだが、栄誉争いに明け暮れる者は結局駄目だし、弟子の奪いあいや、足の引っ張りあいしてる俳壇では芭蕉だけでなく、ホトトギス(=子規)も嘆くのでなかろうか?そういったところかな。私たちが目指すべき世界の写生が善いな。

今回もとっても有り難うございました。

abcd_tya at 02:24|PermalinkComments(0)‥the talk (恣)