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2018年08月17日

星の王子さま❽

幼い王子が旅した2番目の星。うぬぼれ男の星‥こんな?(`^´) こんな? ( ̄ー ̄) たしかに可愛くない。だけど私は憎めない気もする。(?_?)なんでだ。 例えば苦手な学科で成績が少しだけど上がる。そんなときはこんな\(^_^)/顏で報告する。この好い顔が一瞬でこんな(>へ<)( *´・ω・`) (´;ω;`) ( ノД`) (。ノдヽ。)゚ (*゚ε゚`*)(´・ε・`○)になったりすることがあるよね? うぬぼれ男も生れたときは別の顔を持ってたと思う。顏は好くも悪くも変わる。1人では輝く顏に変わりにくいかもね。

こんな\(^_^)/好い顏なのに、こんなに好い顔で声を掛けてくれたら嫌な気分のときでも私は元気になれそう。好い顔には好い顔を返そうとまでは言わないよ。だって落込んでるときに好い\(^_^)/顏で声を掛けられても乗れないってことはあるからね。落込んでるときの顏は輝いていない。その輝いていない顏が他人に嫌な気持ちを起させることはあるし、連鎖反応?悪い顔は悪い顔を増やし広げる。その逆に輝いてる顏は輝いてる顔を増やし広げる。好くも悪くも影響し合っているのが人と人だよね

大人(おとな)って?大人ってなんだと思いますか?回答は様ざまでいい。たとえば子供から大人になる‥だから「大人=成年」。私が学校で学んだのは大人は責任を取らなきゃならないってこと。教育論的には子供一人ひとりに対応してなければならないようだ。子供の個性や生育度を考慮する‥教える側の理論だろうな。今朝の連ドラ「半分、青い。」で鈴愛の母までが教える理論に寄って立ってるって思った。彼女の「あんた、もうちょっとほかの言いかた、ないかね」も回答の一つではある。

近縁ほど回答は似る。遠縁の回答は違和感を持たれやすい‥そうでないかな?生命の仕様から私はそう考える。そのうえで思うのだけど、他の生命体との共通性はモチロン持っているが、独特の進化をしてきた人間だってこと。人の子は親の呪縛を自ら解こうとする。言い方を変えると、鈴愛は親の刷り込みの限界を生活のなかで学んだ。親世代から譲り受けた刷り込み(生きる知恵)を頼ってその知恵に束縛されて一生を終える動植物。昨日の常識に囚われず今日を模索しつつ生きる鈴愛。違いは歴然だ。

格言に「親の意見と茄子の花は千に一つのアダもない」と云う。たしかに鈴愛の母は子や孫たちの幸せを願っていて、アダを為そうなどと思っていない。このことから言えることは人は親を超えていいってことだよ。犬も猫も草も木も親を超えようという知恵を持たない。だから親から受けた刷り込みを頼りに生きて生涯を終える。か弱い体を親から受継いだ人間は、それを後生大事に守って身を屈めて生きるべきか?人間の知恵の秘密‥それは感謝する智慧だろうな。この智慧が大事だと私は思う。

うぬぼれ男の辿ってきた人生を想えば私は気の毒に思って同情する。だからどうする?うぬぼれ男はどうしたら幸せに暮していけるだろうか?今は過去の成果をひけらかし知恵をひけらかしているに過ぎない。だからここからどう立直るのだ?過去に未来はないからねえ。未来は特別の智慧がなければ輝かせられない。私はうぬぼれ男の星の講義からこのような結論に至った。あなたはどのような結論を導きだしますか?あなたの知恵はどの辺りでしょうか?特別の智慧をどう発揮しますか?

つぎは呑み助の星ですね。読んでね!


abcd_tya at 11:48|PermalinkComments(0)

2018年08月15日

星の王子さま❺

ここで見返りについて深く考えておきたい。私たち生き物には経験に学ぶ知恵が具わっているからね、だから(世界に)普遍の見返りだと私は思っている。経験に学んだ薔薇は生きて生きて生きぬいて星の王子さまの庭にも飛んでいって咲くことができた。猫も経験に学んで生きてきて私の猫星の切掛けの手伝いもしてくれる。薔薇も草も犬も猫も人間も経験に学んだ者の末裔(まつえい)だ。経験に学ぶ知恵を全ての生き物が具(そな)えてるってこれで分る。それなら善く学ぶ悪しく学ぶかも分るべきだ。

心地よい経験があり、心地よくない経験がある。今朝の連ドラ「半分、青い。」の鈴愛には漫画家だった経験は辛い記憶として残って、だから忘れたい想いだしたくない。あんなにツライ学習はもう嫌だと鈴愛の心に刷り込まれたようだ。そうすると鈴愛は経験に善く学んだか?悪しく学んだか?もう嫌だと知った‥だから好かったのかい?だから好くないのかい?経験に学ぶ‥これは科学だよ。科学に善悪はないと私は思うんだ。過去を調べる科学‥そこからどう未来をひらくか?善く学ぶべきだろ?
 
見返りを求めての行動は戒めるべきだとあなたは教わったことないか?西洋の価値論「真善美」からは見返りを求める行為は非難されるべきらしい。見返りは「利益」だし、だけど西洋の教会では「真善美」を大事に守る信徒には神の祝福「見返り=利益」が約束されている。見返り(=神の祝福)を求めない悪魔は神に祝福されるの?いやいや、この疑問に哲学者はどう回答するのか。すなわち、善悪に通じるだね。即ち善く学ぶときに最大に善い見返りが期待できると私は結論づけることになる。

それと同じく科学的にも、善悪に通じるだし、善悪に通じるであり、神にも仏にもなり、愚かにも悪魔にもなる生き物であり人間だ。善く学ばなくちゃ!! 言葉遊びに耽(ふけ)ってばかりでは、深淵を覗き見ている積りが深淵に魅入られているあなた‥それは世界の大損失と見返りの計算に余念がない私。「それでも見返りは駄目だ」とは‥あなたも一概に決めつけられないでしょう?世界は見返り次第で豊かになり美しくなり、貧しくもなり醜くもなる。普遍的でない美・利・善に素敵です。

abcd_tya at 10:04|PermalinkComments(0)

2018年08月12日

河合(隼雄)心理学㉝

中空思想 :実践編㋵

河合隼雄心理学に学ぶなかで私は多くを知ることができた。今の日本の中空構造のなかにあって考えたり想いを述べたリが自由にできている私。中空構造に入ろうとせずに右や左の圏で羽振りを利かそうとしてらっしゃるあなたはいるし、中空構造をもっともっと拡げようと努力しているあなたもいらっしゃる。そして中空(の思想)万歳と叫びたい私。それで河合隼雄氏に感謝の想いを述べてここを締めたい。ありがとうございました。

お読みくださったあなたに大いに感謝もうします。拝。

abcd_tya at 07:10|PermalinkComments(0)

河合(隼雄)心理学㉜

中空思想 :実践編㋕

現実の日本に多いのが偏った教育や宗教に心身を染められてしまった青少年や小父さん・小母さん。この人たちは健全でないからクライアントと見なせるだろう?クライアントの我がまま気ままに健全な対応が叶わない未熟で不健全な日本社会が現実にある。未熟・不健全な集団は犯人さがし・悪人さがしに忙しくて健全健常に無関心‥それが現状の日本であり、大方のあなたがた。そのあなた=元凶だろ?

元凶は消し去るべしという思想は日本人の大方の心に広まり、大方の人の心に根づいて、あなたはその保菌者の一人でないか? いいや、あなただけではない。オーム真理教もISも保菌者狩りに狂奔だろ?保菌者が保菌者を消し去ろうとする無限ループの構図になっていないか?だから元凶はあなただと言うしかないのです。健全健常な大人を募集するレベルの低宗教・低思想(⁼ 非個人的関係)では役に立てない。

低レベルの宗教・思想は己の基準に合わない入門希望者を切捨てて己の眼前から消し去るのみ‥すなわち己が保菌者に成り果てている。私は個人的関係も非個人的関係も生かすべきと考える人だ。普遍的には、様々に観える宇宙の凡ての生命体も元素レベルで見るときは大して違わない。卑近な観方をする程に違いを感じる仕様の私たち有機体だ。親・子・兄弟姉妹にも大きな違いを観る私たち・生き物。

私はユング心理学の否定にも肯定にも拘(こだわ)るモノでない。そういう観方は出来るだろうし、科学の視点は有効だと思うし、哲学の視点も大いに有効だと信じる。ただ、科学・哲学に矛盾する宗教・思想にはどうしてもついていけない。科学も哲学も錬金術を否定する。"open sesame"で扉が開くは戴けても、途中経過が明解な科学・哲学の成果「自動扉」なら現実として私は受入れられる。

それでユング心理学は夢か現実か?既に科学・哲学は現実だと述べた。途中経過が省かれている宗教・思想は現実的でなかろ?現実的でないモノに執着する姿はクライアントと捉えるべきでないか?クライアントに繋がれて従がう‥それをゾンビの行列と云わないか?こういった点に明解な説明ができてこそ哲学であり、全うな宗教だろうな。私は哲学がない妄想を宗教と呼ぶのも厭(いや)だな。いかが?

abcd_tya at 05:37|PermalinkComments(0)

2018年08月11日

河合(隼雄)心理学㉛

中空思想 :実践編㋻

馬鹿な考え方しか教わらず、それで馬鹿な考え方しか身に付けられなかったあなた。だけど本性は賢いんだよ。本性は世界に通用する概念みたいだけど、仏法的には仏性法性と言うほうが通じるかな。科学的には炭素Cは全ての生物の構成材料になっているみたい。もちろん人体の構成材料は炭素以外もあるが炭素は単体化合物両方において極めて多様な形状をとることができる。私はよく知らんけど。

この物質に宿っている生命と言えば好いかな。科学的には物質が起こす化学反応からデータを集めるしかない。そうしたデータから仏性・法性・本性等の概念にまとめあげた人間だろう。要するに科学は得られたデータの収集と分析、そして新たな角度からのデータ収集というふうに今後も進化していくと思う。自性というのもそうした概念のなかの一つだろう。そうした概念から何を導きだすか‥だろ?

河合隼雄は渡河のエピソードを語った。二人の禅僧ⒶⒷ女性Ⓒがいて、その女性は欲していた。禅僧Ⓐは女性Ⓒの欲を叶えた。禅僧ⒷはⒸの欲を満たすのは僧として如何なものかと声を発した。Ⓐは「済んだことを心に留めておくのは駄目だ」とⒷの態度を窘(たしな)めたそうな。なるほど、こんな考え方の禅宗なんだ。Ⓐは非個人的関係の禅僧、Ⓑは個人的関係の禅僧。そして河合隼雄はⒶを支持した。

あなたなら、このエピソードにどう反応するか?伊集院光氏の反応は光った。情熱的と個人的関係を混同して好くない関係に発展したらいけない、余程の知識と余程の覚悟と職業意識みたいなものがないと。と述べていた。「個人的関係=好くないこと」とした根拠が示されないのは残念だが、彼の気持ちはよく分る。要するに健全な人格者でなきゃあ嫌だって伊集院光氏は述べてるんだろ?

ともあれ、伊集院光氏は禅僧Ⓐに余程の知識と余程の覚悟と職業意識を観たらしい。成る程、非個人的関係のなかで一人前の禅僧になるらしい‥と云うより、立派な人格者でなければ禅宗の門を潜れないではないか?小学校へは未熟な人格で入学するが大学や大学院へは厳しい試験に合格して門を入る。未熟者や心理療法のクライアントは入れない非個人的関係なの?それって本末転倒だろ?

未熟者の禅僧も女性に欲せられたら叶えようとする。ところが未熟者故に好くない関係に発展するリスクを避けられない。しかし、女性の欲を叶えるのは禅僧の修行の一環だからヤメルことはない。ま、済んだこととして後は野となれ山となれで意に介さなければ好いと禅僧Ⓐは言ってる訳で‥このような不始末を起さないためには健全なる人格者のみを禅僧に募集しなければならない。だろ?

同様に、河合隼雄氏は健全なクライアントを治療することになる‥意味は分りますか?

(もう少し続けます)
健全な社会を実現させるには幼稚園も小学校も必要で、大学(大学院)を無数に用意して万全とは成らない。個々人のレベルに合った教育が施されない乳幼児はどこで・どのように健全な青少年に育つのか?厳しい現場や修行に耐えられる健全な青少年を育てなければ社会に明るい希望の未来は見られない。渡河の場面にあっても健全な青少年は健全な判断をする。偏った教育宗教は駄目だ。


abcd_tya at 20:10|PermalinkComments(0)