神谷美恵子

2018年07月31日

河合(隼雄)心理学⑰

中空思想について

炭焼長者の妻は、金銀財宝よりも大事なモノを守るために、そして大事なナニカを得るために駄目な夫に見切りをつけて身一つでお屋敷から出た。金銀財宝よりも大事なモノは何なのか分るよね?「positive + active」の生命、すなわち「実証的・肯定的・積極的・陽性、また能動的・活発」な(戦う)生命力だ。亭主の財産に惑わされて付いていく妻は大事な宝物を失って駄目になってしまう。

あなたは、戦わずして逃げだした辛抱の足りない駄目な妻と観るか、それとも大事な宝物を守るために戦っている妻と観るかで評価は真逆に別れる。今はどう戦うときかの判断は重要だ。決して失ってならない大事な宝物に徒(あだ)をなす亭主は見限らなければならないが安直に見限るのはやっぱり善くない。見限るべき時を辛抱強く待ったのだ。この妻は麦飯事件まで無為の時を過したのでない。

私は既に日本神話の中空構造を成している無為の神と書いたが、この妻と無為の神とが私には本能的に引掛った。神谷美恵子からも「貴重な人生を無為に過ごしたくない」想いは伝わってきたし、多くの日本人女性のなかで長きに亘って育まれてきた無為の神だろう。そうであればこそ大和撫子の辛抱強さを認める日頃の言動の辻褄も合って、そんな私自身を納得・受入れることも出来るのである。

いやいや、私には自分自身を納得させる以上の難題はない。あなたはいかがですか?炭焼長者の妻も自分を納得させる生き方を重視したのだろうな。誰かに何を言われようが理不尽な扱いを受けようがそんなことは重要でない。しかし、自分自身を偽ったとき、私は狂ってしまう。それが嫌さに私は自分(の納得感)を頑固に通すし、また多くの女性もご自身の心を偽らず・納得しようとして見えるのです。

休憩して自分を労(ねぎら)ってきましたよ。( ´∀` ) 哲学は何処へゴールするのか自分自身も分らないのです。分らないゴールを求め辿って行きついたか‥あなたには確信が持てますか?私は確信を以って語り綴る。私の確信は願いでなくて非情ですから事前にある程度の方向は持ってる。即ち、方向は正負であり、正誤であり、正邪。私は基本的な納得をここに置いている。

(話題を換えます)
大阪の恋人:(彼)ほなぼちぼちいのか (こいさん)

これ、大阪に来た私が初めて憶えた大好きな会話なのですよ。


abcd_tya at 17:03|PermalinkComments(0)

2018年07月23日

「半分、青い。」の意味ⓕ

頃合いの喧嘩相手はいるし、喧嘩しないレベルはいる。喧嘩する相手か饅頭食うか酒酌み交わすか‥決めるのはヒロインでありヒーローだ。そのためにヒロイン・ヒーローは強くあらねばならない。難しいことではないよ。相手のレベルを見きわめる。そのためにチョッカイを出してみる。例えば転げて見せるとそれに釣られて姿を現わす。また例えば小石を放るとそれに反応する‥色々のタイプ。

私は卑劣な手段をとらないが、切っ掛けは如何ようにも作れる。やり甲斐のない喧嘩は人生の無駄だ。喧嘩できない者を相手にする意味はない。喧嘩できる相手かどうか見きわめなければならない。それにしても鈴愛は喧嘩するに値する大きな成長を続けていきそう。夫とも子どもとも誰とも派手な喧嘩をやらかしそう。喧嘩する毎に一皮むけて新境地がひらけるだろう。喧嘩の甲斐があって成長する。

神谷美恵子のシンパは喧嘩できるか?喧嘩できるシンパが生れているようなら面白いのだが‥。ともあれ喧嘩相手の条件を云々する以前に己の喧嘩支度が出来ていなければどうしようもないよね。喧嘩するに値いする成長をしていきたいものです。値いする(すなわち) 甲斐がある。こうして神谷美恵子を知ったのも多生の縁だから、イザという時には彼女のために私だけでも一肌脱ごうと考えている。

ガンバレ、鈴愛。ガンバレ、北川悦吏子。応援してますよ。

(このあと、しばらくはドラマ展開を楽しませてもらうことになりそうです)

abcd_tya at 14:59|PermalinkComments(0)

2018年07月22日

「半分、青い。」の意味ⓔ

いよいよ明日(の月曜日)から新境地を拓く鈴愛のぶつかり合いが始まるのかな。神谷美恵子の「生きがいについて」にぶつかる中で私の生き甲斐論も漸進を始めた気がしている。こうやってお互いに刺激し合いながら誰も置き去りにしないで私たちは明日に向かうのかも知れないね。鈴愛には甲斐(かい)をどんどん設定してほしい。見返りの甲斐、利益の甲斐だ。すると私利私欲を考えたくなる私なんだな。

私利私欲というと良くないことのように思いがちな私がいる。あなたはどう?私利私欲はやっぱり駄目ですか?神谷美恵子は「生きがい」として「生き甲斐」としなかった。彼女は私利私欲は駄目だって感じていたのかな。官僚は私利私欲に走ったら駄目だ、だから神谷美恵子の両親も娘に私利私欲は駄目だって自分の生き方をとおし、生涯をとおして教えていたのだろうな。そんな気がする私なのです。

これは道理としてでなくて親の生き方を手本として擦りこんだ教育なんだな。なぜ私利私欲はいけないの? そんな低レベルの質問が娘・美恵子から返っていくことはなかっただろうなあ‥おそらく。私の姉も兄も私の眼前でそのような低レベルの質問を発して親を悩ませたことはなかった。だから世間のデキのいい姉弟は私利私欲は駄目なことと例外なく知り尽くしていると私は感じるようになっている。

ともあれ、甲斐は利益とか見返りの謂いと理解できるが、見返り欲しさに行動するのは卑しいことという文化は日本中に広まってきた。大概の場合、見返りは私利私欲を満たす。さらに言えば、公利も誰かの私利私欲を満たす。だったら私的には、鈴愛に私利私欲を大いに追求してほしいし、公利も大いに追求してほしいと思う。追求して追求して最終的には利益を最大限に活用する力をつけて欲しい。

そしてそのためには大いにぶつからなくてはならない筈だ。ぶつかってぶつかって火花を散らすほどぶつかり合って、けた外れの脱皮をしてくれたら愉快だな。ちいさな優等生の枠におさまる生き方でなくて、行く先々で大問題を起してかまわない。青い者同士・喧嘩っぽい者同士がぶつかり合って、喧嘩し合っていい。弱い者を苛めさえしなければ何をやったって好いじゃないか。そんなことを思う私。

私もそうだが神谷美恵子は喧嘩なんかしなかっただろうな。それで大脱皮のあとで「あなたと私の間に壁はないのだから、私をあなたの仲間に加えてください」という言葉に行き着いたのでなかろうか。喧嘩しながら大きく育つべき鈴愛にそのような言葉は似合わない。鈴愛に似合うのは一抱えもある饅頭の山かな。曖昧な日本語で気づきにくいが、神谷美恵子のフレーズは命令形になっている。

喧嘩が似合わない神谷であり、それは私も同じこと。喧嘩しない私には私の使命の舞台が別にありそうです。鈴愛の舞台に上がったなら私は脇役をこそハレと心得るだろう。宮沢賢治はオッチョコチョイだと蔑まれる役を得て己のハレの姿を現わした事実は広く世間に知られているだろ?どんな役もハレの舞台になる。あなたもあなたも‥だれも皆ハレの舞台の主役です。(もうすこし続けます。)

刑務官は支配する側。教誨師は支配者側の役どころ。医師神谷美恵子は支配者がわ。宮沢賢治は支配される側の味方。鈴愛には支配者側でなく宮沢賢治の側で飛びまわってほしい。ただし、賢治に打たれない距離感だけは決して忘れないように‥ね。

グランド電柱

あめと雲とが地面に垂れ
すすきの赤い穂も洗はれ
野原はすがすがしくなつたので
花巻グランド電柱の
百の碍子にあつまる雀

掠奪のために田にはいり
うるうるうるうると飛び
雲と雨とのひかりのなかを
すばやく花巻大三叉路の
百の碍子にもどる雀


abcd_tya at 16:54|PermalinkComments(0)

2018年07月21日

「半分、青い。」の意味ⓒ

神谷恵美子の書物から「生き甲斐」についての知恵をお借りした。「生き甲斐」すなわち「生きる甲斐」と理解する私は神谷氏と異なり、甲斐がないお勤めなんて精神衛生上もヨロシクないから仕事に限らず趣味であれ恋愛であれ何であれ、甲斐(かい)は必要条件だ。もっと言えば、政治は国民すべてに甲斐を用意しなければならない。もちろん、収監した人たちへも絶対に欠かせない甲斐なのです。

甲斐があれば犯罪なんかに誰が手を染めるものか‥と私は言いたい。甲斐がある仕事と甲斐がない犯罪と比べたら分かることだ。甲斐がない犯罪なんか馬鹿馬鹿しくてやってられないだろ? それで鈴愛だ。松風羽織塾で目標が見えなくなった鈴愛だったよね。目標が見えない仕事に甲斐はないだろ?誰も鈴愛に期待しないのに‥それでもなお目標を見出すのは未熟な鈴愛にとって超難問だったよね。

それで松風塾を出て目標探しの旅へ出た鈴愛だったろ?そして眼前に展開される課題に体当たりでぶつかる鈴愛の毎日だ。どんな課題でも納得できるまでぶつかりたい鈴愛。この鈴愛の生きる姿勢に惹かれる人あり、惹かれない人あり。それも合縁奇縁の導くところだろうなあ。仕事は出来そうにない鈴愛でも、鈴愛に惹かれる人はある訳で、どんな出合いが待っているか鈴愛も誰も分らない人生。

いくら不器用でも一所懸命に真面目に動いていれば何らかの次の一手は見えてくるよ。しかも、(鈴愛がした)全ての経験は無駄にならない。こういった感じで今日はキーボードを置きますね。


abcd_tya at 16:41|PermalinkComments(0)

生きがいについて⑫

今回は最終回講義4回目から。神谷美恵子は造語が得意だったようで、しかし造語の説明が私のためには不足している。だが、マニアにしてみれば神谷の造語を理解できているという満足感は得られるのかも知れない。精神科の医師神谷美恵子の考えかたは知らないが、私は己がつかう言葉に責任を持たねばならないという哲学を持っており、紛らわしい言葉を一人歩きさせるのは感心しない。

ともあれ、神谷が遣う「生きがい」の意味は解らないままに「ヘタレボウ」という代名詞をあてることで日本語の生き甲斐とは別モノという区別をクッキリ付けておいた積もりである。神谷が遣った「生きがい」の意味を正確にご存知の神谷マニアの方がいらっしゃれば説明なさっては如何かと思うものの、マニア必ずしも哲学の徒でないから強いて説明を求めるものではありません。

私は宮沢賢治マニアではないが彼の長所は顕彰すべきとの想いを持っている。その想いから賢治を賛嘆するが賛嘆したからにはその言葉に責任を持つのは当然です。賛嘆して、後は野となれ山となれ的な無責任な態度では賢治を賛嘆しているようで賢治をホメ殺ししていることになる。キリストを賛嘆する者はキリストに逆行する思想に従がうべきでない。そういったところを私は大切にしたい。

同様に神谷美恵子のシンパ(共鳴者)を装いながら美味いトコ取りをしてはなるまい。何を言いたいかと云うと、神谷美恵子の真の理解者は存在するだろうか?神谷を食い物にしようとしてシンパを装う者を生み出しているだけなら、神谷美恵子は一体どこで救われるのか?キリストと晩餐を共にすることでキリストの高弟ぶってみせても意味はない。そんな弟子ばかりならキリストは救われまい。

お分りだろうか?「誉めることとベンチャラ」をゴチャマゼにする半端者を脇に侍(はべ)らせたところで神谷美恵子が、宮澤賢治が、キリストが、気高くなるのでないことを。そういったことを今回の「100分de名著」に感じたので自省のために書き記しておきたい。偽物を生み増やすことで権威が高まるのでないことを私は決して忘れまい。お付き合いくださった皆さまに心から感謝もうします。拝。

abcd_tya at 14:09|PermalinkComments(0)